あと3日。
本当に久しぶり過ぎるブログの更新。
辞めたのか?と思われてもおかしくない程の放置具合。
生きてますし、やる気も持ち合わせております!
最近は植栽のお仕事が多く、その間に剪定やガレージの土間をやり替える工事などを
させて頂いています。
気にはなっていたけどブログの更新ができなかったのは、
自分が参加しているクラブでの次の例会で、スピーチをさせて頂く事になった。
クラブのメンバー方たちの前でのスピーチなのでそんなに大層な事じゃないのかも
知れないけど、如何せんスピーチの経験など今までなかったので初めての事だし、そもそも何を話していいのか、何を話したいのかなんて分からない。
分かった所で文脈や伝えたい事、聴く人が分かり易い話し方、話の構成なんて全く分からないし、話す内容やテーマなどを毎日考えていたらブログどころではなかった。
逆に考えるとこういう事と考えるいい機会を頂いた。
感謝しないと。
次の例会は今週末なのでスピーチはまだ終わっていないんだけど、原稿?が一通りできたのでその余裕が少し現れたのか…。
自分は海外旅行が好きなので、今まで行った中で面白かった出来事などを話そうかとも
思ったけれど、今は一人でも多くの方に少しでも自分の事を知って頂きたいから、今回は自然やお庭の事を話す事にした。
庭だの自然だの。
なぜこんな壮大なテーマを選んだのか。
なぜこのテーマにしたのか。
チキンだからヒクついてしまう。
書いた原稿から目を離さずに読んでいると全然人に伝わらない。
本当に伝える気があるのか?
伝える気がないのか?
何がしたいの??
それは国会中継とかをみてよく分かっている。
だから原稿を見ずに、スピーチらしく話す。話したい。
付け焼刃で挑んでも、頭が真っ白になったり何を話しているのか途中で分からなくなったり、メチャメチャになるのがオチだから大体の流れは頭に入れておかないと。
ていう事でいま暗記中。あと3日。
という事は、ブログの更新はまた3日ほどないかも知れないという事かも(笑)
前回の例会は大先輩のスピーチ。
オーディエンスの心を引き込む気迫のスピーチだった。
自分も、人の心に入り込む様な話し手になりたい。
植栽のお仕事。
今日は久しぶりの植栽。
はっきりいって、植栽は楽しい。
もちろんお客さんの意向があっての話だけど、お客さんの頭の中にあるイメージや雰囲気を自分が形にしていく。どれだけシンクロできてるのか。理解できてるのか。
今回の植栽する場所は2カ所ある。最初の打ち合わせの時にクロチクを植える事だけが決まったので、それ以外の植栽はお任せ。
1カ所は日陰勝ちで、もう1カ所は一日を通してほぼ日が当たらないので、全体的に日陰にも強い樹木と草花を選んだ。
そこそこ背のある株立ちの常緑ヤマボウシもカシワバアジサイも植えたので、これから梅雨時まで賑やかになると思う。
順に花が咲いていく様子を想像すると今から気になって仕方がない。
家から少し離れているけどちょこちょこ見に行こう。
植栽をしに行く時、毎回余らせてしまう。というか、多い目に持っていく癖がある。
持って帰っても…なので、たくさん植えさせてもらうか、次の出番を待つ。
今日植栽をさせて頂いたお宅のご主人はクールな植栽が好き。
分かってはいたけど綺麗な花をつけるので植えてみたから持って行った。
けど…可愛くなり過ぎるのでやっぱり使えずに持って帰る事にした。
そして家の前のほんの少しの土の場所に植える事にした。
正確に言うと、この子達の面倒を見る覚悟で持って帰って来た。(笑)
帰ってきてすぐに植えるつもりだったけど、後片付けとかなんとかをしていると
カミさんとお嬢ちゃんが帰って来た。自転車のカゴに大人しく座っている娘とイチャついていたらそんな事をしている時間がなくなってしまった。
また時間のある時に植えよう。
■
最近実働の仕事よりお見積りやお客さんとの打ち合わせが多い。
なので色々な庭木達を見にいったり、石屋さんに石の事について教えて頂いたり
植木に散布する薬について話を聞きに行ったり、、、。。
植栽のお仕事は本当に楽しいし、イメージしてるお庭が段々と出来上がっていく様は作っている本人でも楽しくなるし、心の中ではスキップしている。
鼻歌を歌いたいけど歌える歌がないので、自分は鼻歌を歌う事はないけど気分はそんな感じ。
これが全て上手くお仕事に繋がればいいけどなー。
全くもってお庭に関係のない話。
ずっと前にサヴァン症候群の子供と接する両親を描いた
「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」というとても興味深い映画があった。
リリー・フランキーと福山雅治が主演の映画「そして父になる」も考えさせられた。
だけど現実味がない分、どこかぼんやりと観てたんだと思う。
それがいざ自分に子供ができると、それなりの考えをもっていなければならないし、
ヒーローものや戦隊ものの話じゃないから、いつ自分達が映画の主人公と同じ状況になるかなんてわからない。
それはない。あれは映画の中だけの話で自分達には関係ない話だ、という保証はない。
そういう事を深く考える様になったのはやっぱり娘ができてからかなー。
愛くるしいお嬢ちゃんはとてつもない早さで日々成長していらっしゃる。
自分たちが平凡な日常を与えてしまっている事によって彼女の成長を足踏みさせている様な感じにさえ思えてしまう。
自分達には個々に解決しなければならない問題があったり、自分達共通の解決しなければならない問題もある。加えて毎日お仕事もあるし、日常の事もある。
そこにお嬢ちゃんが加わってくる。
どれも並行して解決しなければならない。
自分や自分達のかかえる問題と同じく、彼女の時間も待ってはくれない。
肩に力が入っている訳じゃないけど、これ程に時間を意識したことが今まであるかな?
いい事も悪い事も吸収してしまう。
吸収が早いという事はこういう事なのか。
「子供が欲しい」だけでは無責任すぎる。
抜けきっていないというか親になる覚悟ができていないというか。
昔と比べると人間的に未成熟な大人が多い気がする。
子供が子供を産んだ様なもの。と、よく聞いた記憶がある。
話はズレるけど、昔自分たちが遊んでいた頃は車の運転が上手な人が多かった。
高いけどカッコいい車が欲しい!
その為に他の事は少々犠牲にしてでも一生懸命お金を貯めて念願の車を買った。
身の丈に合わない車を無理して買ったからいつもお金がない。
それでも車を走らせて自分の車を見せびらかしたかった。
なけなしのお金をはたいてレギュラー1000円分とか3000円分とか、小刻みに給油していた。(懐かしいなーー)1000円分なんて、ガソリンメーターの目盛りが本当にちびっとしか上がらない。3000円分は割かし贅沢をした気分になった。
頑張って貯めたお金で買った唯一無二の車で、カッコ悪い走り方なんて絶対にできない。山へ街へ、お金もないのに色んな所へ車を走らせて腕を磨いたもんだ。
仕事にしてもそう。
やる以上はカッコ悪い事したくないからみんな精一杯努力した。
今はどう?
世の中のオッサンみたいだけど(事実オッサン)、昔と違ってそこまで頑張らなくても簡単にローンが通るから、想いというか重さが違う。
仕事だってそう。休憩時間も惜しんで何かを学ぼうとしてたのに、今や通勤時間も休憩時間もお昼休みもずっとスマホを見ている。スマホで勉強をしているのかも知れないし
今からの仕事の情報収集をしているのかも知れないから一括りにはできないけど。
客観的に見ていると向上心が薄いというか、そこそこの、40~60点位の平均点を取れば満足している人が多い様に感じる。
やればもっといけるかもしれないのに。
貪欲じゃないのかな。
今時の人は涼しい顔してサラッとすごい事をやってのけてるのかな。
親としての自覚と覚悟が足りない。
こういうことが子育てにも共通して、勘違いしている親御さんが多い気が。
子供は親のアクセサリーではないし、おもちゃでもない。
親であっても口を出していい事と悪い事がある。
子供は親の所有物ではない。
その子にはその子の人生を楽しんで生きる権利がある。
くどいなーーー(笑)
おわり
饒舌になり過ぎて。
先日、カミさんと一緒の園で働いている保育士さんが数人が我が家に来られて、前から計画していたというフォンデュパーティーの準備をみなさんでなさっていた。
何もお手伝いをしていないのに、「 準備できたよー!! 」と優しい声を掛けて頂き、(え?主役??)有り難い事に、自分も一緒にフォンデュパーテーに混ぜて頂いた。
(というか、状況的に混ぜなければ仕方がないと思う。いわば不可抗力的な、、、。)
まともに?家でしたのは初めてだけど、どちらもとても美味しかった!!
何よりも好きな方に素材を絡めて食べるという、ユアセルフの方式が楽しかった。
手巻き寿司パーティーもそうだけど、こういうのは楽しくていいねー。
あまりの美味しさと楽しさにテンションが上がったご主人は、乗り物でいらっしゃった人を横目にビールを飲みはじめ、いつもより多くの缶を空にして更にご機嫌になられたのか、ご主人はかなり饒舌におなりになったご様子。
マシンガンが止まらない。
喋りながら気づいたが、そういえば飲んだらよく喋る質だった。
今回のテーマは(笑)、 ~ 子供の個性について ~
返事をする時に、大きな声で返事をする子供と、小さな声で返事をする子供がいる。
声が小さいからといって元気がない訳じゃないし、話す時の声の大きさは人それぞれ。子供 = 声が大きい 声が小さい=元気がない は、勝手な大人の勝手な妄想。
離れた所から大きな声を出して先生を呼ぶ子供と、すぐ隣まで来て話しかけてくる子供。一人で遊ぶのが得意な子供と、集団行動が得意な子供。みんな建物の中に居るのに
一人だけ外で遊ぶ子供。多数の子供たちとは違う遊び方をする子供。
こう言えば分かり易いかな。 「 同じ物でも人によって見方が違う。」
みんなそれぞれ個性がある。
色々な性格の人間がいる様に、色々な個性の人間がいてもいいじゃないか。
どこにいってももちろん決まり事はあるけど、強制しなくてもいい様な所も強制して、単一化しようとする時をよく見かける。
その方がコントロールするのに楽だから?
日本ではそれを病気という風に解釈して、幼児期から要注意のマークを付けられて
ある意味の「変わった子」として、小学校中学校とその情報は引き継がれて上がっていく。ずっとそのマークはついたまま。教育現場の現状はよく知らないけど、社会的風習として多数の人たちと比べて違う子は弾かれる事が多い様に思う。
それは学校でも社会でも。
変わった子と個性的な子のニュアンスは紙一重だと思う。
もちろん協調性も大事だし、周りの人に迷惑をかけちゃいけないと思う。
だけど目線がそこばかりに集中し過ぎて、少しでもはみ出ると糾弾され、端に追いやられる。弾かれたりする。
人と違っちゃダメなの?
なんで?
個性の幅を認めない。個性を個性として認めてもらえない。
個性とはなんぞや?
目の前にいる子供が少し変わった子供だったとしても、(大人でも一緒)
それをその子の持つ個性として理解する。
それの個性がマイナスに働いていたなら周りのみんなと一緒に支えて接していくという姿勢が大事。小さい頃からそうやって教育していくと、社会全体が個々を個性として理解し合えると思うし、みんなと違う事をすると矯正させられるし弾かれる事を教えられると、この国の様な社会全体がそういう社会になると思う。
という様な話をしていたと思う。
ずっと話しを聞いていたカミさんが 「なにこれ?なんかのセミナー??」って。
思い出しても恥ずかしいけど、家に居るからついでに参加させて頂いた自分が終始ずっと喋っていた気がする(笑)
先生たち、本当に申し訳ない!
昨日所属している会の例会に出席した。受付を済ませると、
「金田さん! 次の例会でスピーチをお願いします!」と幹事の方に言われた。
「えええぇーーーーーーッッ!!?」
「ぼぼぼぼぼ、ぼぼ、僕ですかーーっ??」
ご機嫌になって饒舌になった時とシラフで壇上で話すのは違うみたい。
一応庭屋なんですけど、、、。
一人で工務店を営んでいる知り合いの方のお仕事をたまにさせて頂いている。
今回は家の中の一部屋だけ床を解体・撤去して、土間を打つお仕事。
自分、、、一応庭屋なんですけど、、、。
洗面所とお風呂場とトイレの全てに繋がっている部屋の床が腐ってフワフワしてる。
現場で打ち合わせをした時に、今お住まいなので、できるだけ早くして欲しいと。
解体したその日に土間を打って欲しい、と言われた。
まぁ平米数的にはそんなにないので、1日で仕上げるつもりで現場にきたけど、、、
改装や改築(リフォーム?)は開けて見てみないと分からない。が、常識。
打ち合わせで伺った時から施工するまで少し日が空くから床をめくっていない。
当日施工するにあたって、実際に床を解体するまで床下の状況がどうなっているのか
分からないのは正直不安。
なぜなら、その状況によって最善の施工の方法が変わってくるから。
それによって必要な道具も資材も変わってくる可能性もあるし、内容によっては当日に施工できないかも知れない。
自分たちの想像では床下はすぐ土だろう。
なので、整地して均して、モルタルを塗って、終わり、の予定だった。
が実際は、床をめくるとその下はモルタルが塗ってあって、その上水道や排水のパイプが縦横無尽に走っていた、、、。
このパターンは予想してなかった。
すぐに工務店の方に電話して現場の状況を説明し、最善の施工方法を模索する。
こういうシチュエーションでは時間との闘い。
悩んでる時間はない。
置かれた状況と、作業に要する時間や持ってる道具、経験値をフルに駆使して、お客さんの求めている物を具現化する為にはどうすればいいのか、を総合的にかつ瞬時に判断しなければならない。
どれだけの引き出しの数を持っているか、がモノをいってくると思う。
予定通り予想外の事があったものの、
解体・撤去の後に予定通り当日に土間のモルタルを打てたので結果オーライ。
自分、、、一応庭屋なんですけど、、、。
という疑問が頭に残るだけ。
自分がお庭屋だという事は知ってるはずなんだけどなー。
石の引き取り。
先日、「 石の引き取りをして頂けませんか? 」
とお電話頂いていたので、とりあえず一度見に行かせて頂きます と、
今日の朝待ち合わせをして現地に見に行かせて頂いた。
お庭があったであろう場所が既に取り壊されて、ガランとしていた。
見た感じだと、残っている母屋も近々取り壊される様子。
その母屋の居間の縁側に据え付けてある沓脱石がその石。
少し前の年代に建てられた縁側のあるお宅でよく見かける、よく見かける大きさの、
よく見かける丹波鞍馬の沓脱石だった。
その旨をお家の方にお伝えして丁重にお断りした。
年配の植木屋さんの話の昔話を聞いていると、その昔はすごい時代。
奈良県から石を運んできた石屋さんが半ば押し売り的な感じで、朝早くに持ってきた石を勝手に家の前に下ろして置いていってたらしい。それが普通?にまかり通っていて、毎週石を勝手に下ろして置いて行ってたのに普通にお金を支払っていたそう。それでもそれだけの石を消化できるくらいお庭工事の仕事がめちゃめちゃ多かったとか。
そんな話を一人だけじゃなく何人もの植木屋さんから聞いたし、
そんな事もあったなー、と懐かしそうに話している様子も見た事がある。
その石材の最後に残ったほんの少しを、自分は宝の山だと言って、必要になったらそこに物色しに行って使わせて頂いているけど。
庭木で重宝された台杉だって飛ぶ様に売れた話も本当によく聞く。
前に勤めていた所やその周辺を車で走っていると今でも台杉の畑をたくさん見かける。
その時代の名残かな。
それにしても信じられない話。一体どんな時代?
今となっては昔にそんな事があったなんて微塵も感じる要素がない。
一つだけ思うのは、とても景気が良かったのだろうという事。