夏の暑さ。

今日は京都市内で剪定のお仕事。

 

ツツジのを刈り込む時はかなりの注意をしている(笑)

他の庭師の方と一緒に剪定のお仕事をする時にその方達を見ていると、

基本的に他の人に比べて自分は注意が足りない様な気もする。

刺されたくなければもっと注意を払わないと。

まぁ、ツツジ以外にも居る時はいるんだけどねー。

 

つい最近、京都の長岡京市や大阪の枚方市で仕事をさせて頂く機会があったけど、

風が吹いていたり、暑いのは暑いけどそこまでじゃないというか、、、。

大阪から来ている業者さんとかと話していても

みんな口をそろえて 「京都は暑い」とおっしゃる。

確かに、京都市内の暑さは体にとわりつく様な独特な蒸し暑さな気がする。

 

自分たちが宇治市に引っ越してきてまだ2回目の夏だけど、夜はエアコンを付けない

で家中の窓を全開にして寝ている。

付けたくなるような寝苦しい夜はまだ4、5日程で、たいていは扇風機で凌げる。

それに、ほとんどの日は真夜中に寒くなって目が覚めて、扇風機を消している。

7月なのにねー。8月なのにねー。なんて事を朝カミさんと話している。

不思議と、ヒグラシは午前4時半になると一斉に鳴き始める。

蝉の鳴き声を聞いて時計を見ると4時31分とか35分とか。

気温なのかな?夜明けの明るさで感じているのかな?

よく知らないけどとても時間に正確。

その涼し気な鳴き声を聞いて二度寝とか、、、。

もちろん残暑はあるしその暑さも厳しいんだけど、毎年お盆を越えると暑さの質が

変わるというか、なんというか。お盆前とお盆以降では夜の寝苦しさが少し和らぐ

気がする。とすると、、、夜の寝苦しさもあと少しなのかな。

 

夏の好きな風景の一つに、窓を開けた家の中で蚊取り線香を焚きながら、風力を”強”

にした扇風機の前で汗ばんだ服をパタパタ扇いだり、スイカを食べていたりする風景

がある。

その仕草が性別を問わず生臭いというか色っぽいというか。

今を生きてるって感じがする。

人間としてとてもリアル。だから好き。

 

空調がコントロールされた空間は居心地がいいのかも知れないけど、

汗もかかなければ寒さも感じない。

自分が生きている証がない。

 

あの夏は暑かった。去年よりも暑かった。いや、何年の夏の方が暑かった。

どんな夏だった、こんな夏だった、あの年の夏はこんな事をした、、、

何か特別な事をして思い出を作る為にわざわざ外に出掛けなくても、日常はドラマ

に溢れている。日常には面白い事が沢山ある。

 

季節を否定してずっと同じ気温の中で生活していたらそんな記憶もないだろう。

思い出も残らないだろう。

 

暑い! 当たり前だろ、夏なんだから。

寒い! 当たり前だろ、冬なんだから。

良かったじゃないか。

それを感じれるって事はその季節を生きてるって事なんだから。

 

今は「 楽をする 」 が簡単に手に入る様になった。

夏を否定して冬を否定して季節を否定している。

もちろん昔と比べると暑すぎるのもあるし、人の暮らし方は人それぞれ。

 

否定は否定しか生まない。

自分は全てを楽しめる様になりたい。

どんな環境でも楽しみに変える事が出来たら毎日がどれだけ楽しくなる事か!