潮時、引き際。

 

 

ブログを書いたつもりになっていた毎日。。。

 

 

なんでそんなつもりになっていたのか分からないけど

更新しなければって気持ちだけがあったのかな?

 

 

毎日剪定。昨日も剪定。今日も剪定。明日も剪定のお仕事。

 

どこにいっても同じ木を剪定しても、2本として同じ木がないのが面白い。

 

 

昨日は朝から夕方までずっと一本の松を剪定していてた。

掃除以外松の剪定だけの一日。

精神的にとても。。。  鍛えられるね!!

 

 

前に勤めていたブラック企業にいた時、

「金田さんは、松の葉むしりを覚えてから気が長くなった」

と番頭さんに言われた言葉を思い出す。

 

今日のお宅にも松があったし、明日もたぶん一日中松。

 

 

精神面を鍛えてくれるだけでなく、松はとても素直で面白い木だと思う。

 

 

今年からお庭の管理をさせて頂く事になったお宅に、一人で葉むしりをして2日かかるであろう松がある。

 

恐らく12月に入ってからになると思うけど、ここまで手のかかる松は久しぶりなので少しワクワクドキドキする(笑)

延べ2人かかる松はなかなかだと思う。

 

 

 

それはそうと、お盆に我が家に来たカブトムシ♂がまだ生きている。

一時はてっきり死んだものだと勘違いして、「♀の後を追うようにして逝ってしまった」とか「やっぱり寂しかったんかなー」とか、夫婦揃って感傷的になった時もあったが、思ってるより長生きをしている今となっては家族の関心も存在感も薄くなってしまったカブトムシ。

 

しまいには、「まだ生きている!」「割としぶとい」と言われる始末。

 

人間も昆虫も同じである。

 

 

 

カブトムシに関しては無知なのでネットで見ていると、ほとんどの場合9月中には死んでしまうみたい。

 

足のツメも幾つかちぎれ、動きもずいぶんと鈍くなった。

よく痙攣みたいな動きをしているのを見るし、一時の俊敏さは今はない。というか、生きてはいるがほとんど動かない。

 

確かに、蝉もずいぶん前に鳴かなくなったしこれだけ涼しくなったのに、 カブトムシ という夏の虫のイメージの響きに少し違和感を感じる。

 

潮時、引き際を失うとこの扱い。

 

引き際とはとても大切なのだと改めて思い知る。

かと言って、自分で命を終わらす事はできない。

 

いつ終わるか分からない、神様に頂いた命を日々全うするだけである。それしかない。それのみである。

 

これも、人間も昆虫も全ての命は同じである。

 

 

こんな中、一人彼は日々何を考えて生きているのだろうか?

 

懐かしい本物の樹液の味??

メスと戯れていたあの頃??